日本人初J得点王・福田正博氏の姿を語り継ぐ VINTAGE CULTURE BASE / FOOTBALL COLLECTION

2023.10.19

オリジナル10浦和レッズの象徴 福田正博氏

福田正博氏は湘南工科大学附属高等学校、中央大学を経て1989年に三菱重工サッカー部 (現・浦和レッドダイヤモンズ)に入団。入団1年目の日本サッカーリーグ2部で36得点を挙げて得点王になる活躍などもあり日本代表に選出。日本プロサッカーリーグが開幕した1993年から引退する2002年まで浦和レッズの象徴的な存在としてサポーターに愛された。1995年には50試合で32ゴールを挙げ、日本人初の日本プロサッカーリーグ得点王に輝く。日本プロサッカーリーグ通算228試合出場93得点。 

日本にプロサッカーリーグが誕生して30年

日本プロサッカーリーグ発足以前の1992年のAFCアジアカップ優勝に貢献、日本サッカー奇跡の飛躍の中心的な存在として活躍。日本プロサッカーリーグ・オリジナル10の浦和レッドダイヤモンズの象徴としてクラブの基礎を築き、日本人初の日本プロサッカーリーグ得点王・ミスターレッズ福田正博氏の功績があったからこそ、日本サッカーの「今」があります。

 

サッカー日本代表の福田正博氏

日本代表では45試合出場で9ゴールを記録し、1992年のダイナスティカップ、AFCアジアカップ広島大会の初優勝に貢献。1993年にはワールドカップアジア地区最終予選で「ドーハの悲劇」を経験した。1996年8月9日・聖地国立競技場でのブラジル代表戦の得点などインターナショナルレベルのストライカーとしての存在感を示した。

日本サッカーリーグ2部からJ得点王へ、福田正博氏は伝説

今日も日本サッカー界は確かな成長を続けています。日本人は個が弱いからグループで戦う。プロチームも得点を奪うポジションには外国籍選手を起用する。結果が求められる世界なので、国籍に関係なく得点を奪える選手が起用されることは仕方ないです。なので日本人ストライカーに期待します!福田正博氏は、日本サッカーリーグ2部の三菱から自身の得点でチームを強くしてきました。日本プロサッカーリーグ創成期でも厳しい時期を乗り越え、1995年にリーグ得点王になります。得点にこだわるストライカーとして、チームの勝利に貢献する福田正博氏の姿は、日本サッカー界の発展の「鍵」であり、シンボルとして語り継がれていくべき「伝説」です。

Japan's Wayコンセプトムービー

福田正博氏公認アパレル・Tシャツetc

2023年10月リリース

オンラインショップ コンビネーションミール

 

フットボールクリエイター 角田壮監

足とシューズの最適化で競技者本来の力を引き出すという視点から世界初のサッカーソックスの構造を分離させ完成されたセパレートサッカーソックスLeg Tool Separation Systemを考案。

グローバルシーンで実績を残している様々な競技のトップアスリートや競技団体のマネジメントやディレクションで培った「競技力向上のための組織づくり」をはじめ、社会にスポーツが持つ有益な効果を生み出すためにスポーツシステムコーディネーター、スポーツプロデューサー、プロジェクトコンサルタントとして、次世代ニーズを見据えた魅力ある競技スポーツシーンの創出に努めている現在、(公財)日本水泳連盟競技力向上コーチ委員会に所属。