伝説のフリーキック・木村和司氏の姿を語り継ぐ VINTAGE CULTURE BASE/ FOOTBALL COLLECTION

2023.10.26

 サッカーの聖地・国立競技場 伝説のフリーキック・木村和司氏

1968年のメキシコシティ五輪の銅メダル以降、日本サッカー黎明期に見られていた専守防衛のスタイル の戦術から木村和司氏を中心とした魅力ある攻撃的なサッカーを展開する日本代表は”森ファミリー” の愛称でサッカーファンに親しまれました。

1985年10月26日ワールドカップメキシコ大会のアジア最終予選

1986年に開催されるワールドカップメキシコ大会のアジア最終予選・東アジアの1枠をかけた韓国代表 とのファイナル第1戦。 1985年10月26日、日本サッカー悲願のワールドカップ出場への期待で膨らむサッカーの聖地・国立競技場(東京)は超満員。 この試合で日本サッカーの夢と希望が込められた木村和司氏フリーキックのゴールが「伝説のフリーキ ック」と語り継がれています。

日本にプロサッカーリーグが誕生して30年。

日本にプロサッカーがない時代。ワールドカップ出場を言葉にすることや夢に見ることもない時代。 日本のサッカーファンが「ワールドカップに出場できるかもと初めて感じた瞬間」が、19851026 日の超満員の国立競技場での「背番号10木村和司氏のフリーキックからのゴール」といえるかもしれません。 さらに、フリーキックの魅力を知った当時の子供たちが、木村和司氏に憧れてボールを曲げて落とすキ ックに夢中になり、次世代のファンタジスタを誕生させた事実も語り継いでいきたいです。 ワールドカップアジア最終予選、19851026日の超満員になった国立競技場での木村和司氏のフリ ーキックのゴールがあったからこそ、日本サッカーの「今」があります。

ミスターマリノス 木村和司氏

 1993年の日本プロサッカーリーグ開幕時には「ミスター・マリノス」としてファン、サポーターから絶 大なる信頼と期待が寄せられます。 1993515日、ヴェルディ川崎のラモス瑠偉氏と共に背番号を10を背負い、新時代となる日本プロサ ッカーリーグの開幕戦を盛り上げました。 日本サッカーリーグ時代からFKの名手として数々のゴールを記録し、次世代のファンタジスタ「中村俊輔氏」の誕生に大きな影響を与えた人物としても語られています。

フットボールクリエイター 角田壮監

足とシューズの最適化で競技者本来の力を引き出すという視点から世界初のサッカーソックスの構造を分離させ完成されたセパレートサッカーソックスLeg Tool Separation Systemを考案。

グローバルシーンで実績を残している様々な競技のトップアスリートや競技団体のマネジメントやディレクションで培った「競技力向上のための組織づくり」をはじめ、社会にスポーツが持つ有益な効果を生み出すためにスポーツシステムコーディネーター、スポーツプロデューサー、プロジェクトコンサルタントとして、次世代ニーズを見据えた魅力ある競技スポーツシーンの創出に努めている。現在、(公財)日本水泳連盟競技力向上コーチ委員会に所属。